「丁寧」とは何か(キネステティク・クラシック ネオ)

キネステティク・クラシック ネオでは「丁寧にやる」という言葉を使ったりします。

今出来ることを、丁寧に。

いい言葉ですね!
でも、具体的にどういうことか、よく考えないで使ってたりしたら、先日の「すみません」「頑張ります」と同じことですね…。

ということで、丁寧にってどういう事でしょう。
分かりにくい例を挙げてみます(めばちこ程ではありません)。

私は昔籠編みにハマっておりました。現在は自分で使う分には十分になったので、たまーーーーーにしかやりませんが。
籠編みは、植物の蔓を一定の幅に切って、編んだり組んだり結んだりしていく技法です。
その過程で出てくる問題が、「植物の蔓は自然物なので真っ直ぐではない」ということです。
材料は真っ直ぐではないのですが、完成品は真っ直ぐを前提に設計されています。直線を組み合わせて模様が生まれるからこそ美しいのです。
で、ここで必要になるのが、「丁寧さ」です。
私は持続力より集中力派なので、それが保てる間に仕上げたいのですが、そうすると「丁寧さ」が損なわれます。美しい籠を作る為には、
・材料の特性の理解、それを扱う技術
・編み方の特徴とそれらの理解、それを適用する技術
・それらに充分時間をかけて、間違えたら修正にも時間をかけることのできる心持ち
…あたりが必要です。
で、私は理解には時間をかけてもいいけど、作業はとっとと終わらせたい。
そうすると、出来上がる籠は「拙速」という言葉の具現化みたいになります。
素人目には分かりませんが、プロが見たらすぐ分かります。
籠編みを始めた頃は人の籠も編めたらなあとか思っていましたが、それに時間と情熱を費やすのには向いてなかったので、自分が満足したところであとはのんびり時々やろうということにしました。出来たものを素人の作だと了解の上でお譲りしたものも有りますが、それだけです(それでもそれは二個作ってやっと覚えた編み方なんで、誰でも気軽に作れるかというとそうでもない、それなりに難しい奴です←だから売っても良いかなと思った)。

ということで、丁寧には時間が必要ですが、時間以外にも様々な物が必要です。
観察と理解とフィードバック、間違いがあれば修正する勇気と情熱と時間。
そんなものの上に成り立つ「丁寧」は、決して簡単なものではないのだなあと思います。

かご
お譲りした籠、制作途中の写真。実はこの時点では微妙に歪んでます。


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