動きを学習する、とはどういうことか(キネステティク・クラシック ネオ以外でも)

動きの学習、いろいろありますね。
キネステティク・クラシック ネオもそうですが、フェルデンクライスメソッドとか、アレクサンダーテクニークとか、野口整体とかもそうかもしれません。
そういうものを学ぶときの話を、ひとつ。

以前、とあるボディワークを習って、ある動きを見直すように提案されました。同時に同じことを言われていた仲間がいて、彼女が先生に、「いつまでやればいいですか?」と聞きました。
それに対する先生の答え、

「ずっとだよ。一生。」

・・・以上。
ズバッと清清しいですね!
というか、よく考えれば、当然なのです。
動きを学習するんですから、いつまでとか無いんです。一生です。
そのとき言われたのとは違うけど、一例として「膝をくっつけない」だったら、いつまでじゃなく、一生「膝をくっつけない」のが標準装備にならないと、動きの学習完了とはならないのです。

もうひとつ、関連して余談。
私の行っているスポーツクラブにヨガクラスがあります。
すごい人気のクラスのようで(私は出たことがありません)、人気のあまり、教室のオープン時間になると、我先に人を押しのけながら、生徒さんが場所取りをしています。
・・・あの~。
それ、私の中での「ヨガをやる人」の定義からすると、絶対しないようなことなんだけど・・・???
席取りが一段落してから登場される先生は、穏やかそうなのになあ。
ヨガクラスで何を学んでいらっしゃるのか謎なんですが、殺伐とした人たちと同じ空間でヨガとか絶対やりたくないんで、一生謎なままだと思います。
これもまた、ヨガレッスンの時間だけヨガをやるんじゃなくて、「一生。」にならないと、ヨガの人にはならないんだろうなあ・・・
という、余談じゃないかもしれないような、余談でした。

動きを言語化して考えられるようになる、キネステティク・クラシック
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