昨日の続き・キネステは、自分の内を感じて動く方法

昨日、キネステの漢字を考えましたということで、内感動法と書きました。
その解説を致します。

キネステティク・クラシックは、ほかのキネステとちょっと違った観点を、根本に据えています。ちょっと違ったと書きましたが、その観点はキネステの根本であり、原点にあるものです(なので、わざわざ、原点という意味で、「クラシック」と銘打っているのですね)。
それはなにかというと、「自分の内側の感覚を大事にして動く」ということです。

感覚は、キネステティク・クラシックだけでなく、マイエッタハッチのキネステティクス(R)でも、最初に取り上げる概念です。
その中でも、「キネステティク感覚」という、圧と緊張の感覚を、他の感覚(視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚=いわゆる五感)とは別枠で、特別に扱っています。
どうしてわざわざ「キネステティク感覚」なんて名前までつけて、特別扱いしてるんでしょう。
理由は、動くために・・・っていうか、もっと言えば生きていくために欠かせない、大事な感覚だからです。

キネステの「感覚」のところで、みなさんに「いま五感とキネステティク感覚のうちどれかひとつだけ残して全部なくなるとしたら、どれを残したいですか?」と聞くことがあります。視覚、次いで聴覚が大事というかたが割と多いですが、実はひとつだけ、無くなったら生存すら危なくなる感覚があります。
どれかというと、キネステティク感覚です。
重力と圧を感じないということは、宇宙空間にいるのと似たような感覚になるということです。宇宙はなかなかいけないので、地上で体験できそうな似た体験としては、飛び込みプールに飛び込む、というのがあります。
水泳用のプールじゃなくて、飛び込み用のプール、背が全然立たないくらいの、深いヤツです。
昔学校の授業で1mから飛び込んだ(っていうか、素人なので足から落ちることしか許されない)とき、浮くまで何もするなと言われました。なぜかというと、浮力はありますが地上のような重力はないので、どちらが上か分からなくなるからです。そういう状況でむやみに水を掻くと、浮かぶ方向に行かないかもしれないので、おぼれる可能性があるのです。
これ、今までお一人だけ同じような体験をした事のある方がいらっしゃって、やっぱり「浮くまで待て」と言われたそうです。
・・・ということは、キネステティク感覚を感じなくなると、
 上下が分からず、どちらに動いていいかわからなくて
 自分の姿勢が分からず、どういう風に動いていいかわからなくて、
結局、動くことが難しくなる、ということです。

それと、もうひとつ。
五感+キネステティク感覚の六感の中で、自分の内側を感じるための感覚は、キネステティク感覚しかありません。
 視覚に必要な光の刺激は、外から来ます。
 聴覚に必要な音の刺激は、外から来ます。
 嗅覚に必要なにおいの刺激も、味覚に必要な味のするものの刺激も、触覚に必要な皮膚に触れるものの刺激も、外から来ます。
たとえば、口を閉じていても味を感じる、という場合でも、神経の誤動作以外は、刺激している物質は体の外に存在していて、味蕾を刺激する必要があります。感覚の受容器は体の表面にあり、外から来る刺激をキャッチしています。
これに対して、キネステティク感覚は、筋肉の緊張と、体にかかる圧を感じる感覚です。感覚の受容器も体の深部にあり、自分の体の内部での刺激をキャッチしています。
内側を感じる感覚であるということは、自分の存在を感じる感覚であるということです。
キネステティク感覚が、動くために、生きるために大事だという理由は、動くために必要であるという以外に、自分自身を感じるための唯一の感覚である、ということもあるのです。
内側を感じて動くための感覚ということには、とても大きな意味があるのです。
 
・・・ついでに。
上記の飛び込み用プールほど珍しくない状況で、介護や看護などのケアに携わっている方が日常目にしやすい、キネステティク感覚が阻害されている状態というのがあります。
それは、なんでしょう?
答えは、近々ブログで書きます(が、前にも何度も同じようなことを書いております・・・)。


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